1 :やるっきゃ騎士φ ★:2011/04/30(土) 09:36:35.68 ID:???
ソースは
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110430/biz11043008470000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110430/biz11043008470000-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110430/biz11043008470000-n3.htm
[1/2]
牛丼チェーンといえば、サラリーマン御用達の飲食店の代表格。
この数年は熾(し)烈(れつ)な価格競争を繰り広げ、デフレの象徴として関心を集めてきた。
だが、東日本大震災では、食料品が品薄になったスーパーやコンビニエンスストアの
代替拠点として、存在感を示した。そこには、牛丼チェーンが飲食店の役割を超え、
社会のインフラとして機能しようとする姿があった。
■チーム結成
「疲れた顔をしていたお客さまが明るい表情になるのを見て、1杯の牛丼が人の役に立てるんだ
と改めて感じた」。牛丼チェーン首位「すき家」を展開するゼンショーの向井範男企画政策課
マネジャーはこう振り返る。
3月11日の地震発生直後、ゼンショーは東京・品川の本社に小川賢太郎社長(62)を
本部長とする対策本部を設置。社員総出で東北地方の従業員とアルバイトの安否確認を
進めるうちに、地震と津波による被害の大きさが徐々に明らかになる。
店舗の被災は避けられず、無事な店舗もガスや電気などが止まっている可能性がある。
電話が通じず連絡が取れない従業員も多く、社内は不安と焦燥感に包まれた。
騒然とする社内で、小川社長の声が響き渡った。
「われわれは食を提供する企業だ。こうした非常時だからこそ、一刻も早く店舗を再開する」
急(きゅう)遽(きょ)、被災地の店舗再開と避難所での炊き出しを行うチームが結成された。
1チーム5人、A~Hの8チームで計40人。
「ぜひ行かせてください」。40人全員が自ら支援を志願した。
-続きます-
2 :やるっきゃ騎士φ ★:2011/04/30(土) 09:36:45.97 ID:???
-続きです-
[2/2]
■持ち寄った炊飯器
8チームは地震発生から3日後の14日に本社を出発。向井マネジャーを含む
A、Bチーム計10人は仙台市を担当した。
ハイエース4台と普通自動車1台の計5台に牛丼とカレーの食材と弁当用のプラスチック製丼ぶりや
スプーンなどを乗せ、その日の夜に営業停止中の「すき家仙台青葉通店」(仙台市青葉区)に到着した。
店は水道と電気は使えたが、ガスが止まったままだった。
すき家は通常、1回に8キロのコメを4台あるガス炊飯器で炊く。ガスが止まれば食事が出せない。
事態を打開したのは店にいた若い女性スタッフの一言だった。
「家から炊飯器を持ってきてご飯を炊きましょう」。
急遽、近所に住むスタッフが自宅から炊飯器を次々に持ち寄った。集まった炊飯器は計15台。
ただ、余震などで店内が破損する可能性があり、店舗内での営業再開は難しい状況なのがわかった。
だが、スーパーなどが品不足で仙台市民には十分な食料品が行き渡っていない。
向井マネジャーらは現場の判断で、店外で牛丼弁当を無償で配ることを決断した。
14、15日で提供した牛丼は計2000食。
向井マネジャーを含めスタッフが交代で店の前で
「ただいま牛丼を配っています」と大声を張り上げた。
混乱を避けるため、メディアやツイッターなどでの告知はあえてしなかった。
あっという間に行列ができた。
向井マネジャーは「すき家に来たことがないおばあちゃんが牛丼を受け取って
『久しぶりに肉が食べられる』と喜んだり、『タダなの? ありがとう』と驚くお客さまもいた。
被災地で必要とされていると肌で感じた」と話す。
ゼンショーグループの中で最も動きが早かったのは「なか卯」(大阪市淀川区)の
平田哲章ゼネラルマネジャーだ。地震発生の11日、大阪から車3台で新潟経由で
「仙台駅東口店」(仙台市宮城野区)に向かった。翌12日には厨(ちゅう)房(ぼう)機器で
唯一電気が使えた空揚げ用フライヤーで空揚げ1000個をつくり、周辺の被災者に配った。
「とにかくできるだけのことをしたかった」と平田ゼネラルマネジャーは話す。
■震災前に復旧
ゼンショーは「すき家」のほか「なか卯」「ココス」「はま寿司」など
全国で計3978店(3月時点)を展開。
すき家だけで全国計1562店(同)あり、そのうち291店が地震発生直後に閉店したが、
3月末には264店が営業を再開。今月28日時点で閉店中なのは6店のみで、
ほぼ震災前の状態に復旧した。
店舗再開と同時に避難所を回って炊き出しを行い、3月12日から31日までの間に
牛丼やカレーなど計3万5810食を提供した。
藤田直樹広報室長は
「食を提供して成り立っているわれわれは、被災地で見たお客さまの姿を絶対に忘れてはならない」
と強調する。被災地への長期的な支援を継続する方針という。
-以上です-
ゼンショー http://www.zensho.co.jp/jp/index.html
株価 http://www.nikkei.com/markets/company/index.aspx?scode=7550
元スレッド
【外食】牛丼魂、食を届ける執念 ゼンショー[11/04/30]
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1304123795/
続きを読む...
ソースは
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110430/biz11043008470000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110430/biz11043008470000-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110430/biz11043008470000-n3.htm
[1/2]
牛丼チェーンといえば、サラリーマン御用達の飲食店の代表格。
この数年は熾(し)烈(れつ)な価格競争を繰り広げ、デフレの象徴として関心を集めてきた。
だが、東日本大震災では、食料品が品薄になったスーパーやコンビニエンスストアの
代替拠点として、存在感を示した。そこには、牛丼チェーンが飲食店の役割を超え、
社会のインフラとして機能しようとする姿があった。
■チーム結成
「疲れた顔をしていたお客さまが明るい表情になるのを見て、1杯の牛丼が人の役に立てるんだ
と改めて感じた」。牛丼チェーン首位「すき家」を展開するゼンショーの向井範男企画政策課
マネジャーはこう振り返る。
3月11日の地震発生直後、ゼンショーは東京・品川の本社に小川賢太郎社長(62)を
本部長とする対策本部を設置。社員総出で東北地方の従業員とアルバイトの安否確認を
進めるうちに、地震と津波による被害の大きさが徐々に明らかになる。
店舗の被災は避けられず、無事な店舗もガスや電気などが止まっている可能性がある。
電話が通じず連絡が取れない従業員も多く、社内は不安と焦燥感に包まれた。
騒然とする社内で、小川社長の声が響き渡った。
「われわれは食を提供する企業だ。こうした非常時だからこそ、一刻も早く店舗を再開する」
急(きゅう)遽(きょ)、被災地の店舗再開と避難所での炊き出しを行うチームが結成された。
1チーム5人、A~Hの8チームで計40人。
「ぜひ行かせてください」。40人全員が自ら支援を志願した。
-続きます-
2 :やるっきゃ騎士φ ★:2011/04/30(土) 09:36:45.97 ID:???
-続きです-
[2/2]
■持ち寄った炊飯器
8チームは地震発生から3日後の14日に本社を出発。向井マネジャーを含む
A、Bチーム計10人は仙台市を担当した。
ハイエース4台と普通自動車1台の計5台に牛丼とカレーの食材と弁当用のプラスチック製丼ぶりや
スプーンなどを乗せ、その日の夜に営業停止中の「すき家仙台青葉通店」(仙台市青葉区)に到着した。
店は水道と電気は使えたが、ガスが止まったままだった。
すき家は通常、1回に8キロのコメを4台あるガス炊飯器で炊く。ガスが止まれば食事が出せない。
事態を打開したのは店にいた若い女性スタッフの一言だった。
「家から炊飯器を持ってきてご飯を炊きましょう」。
急遽、近所に住むスタッフが自宅から炊飯器を次々に持ち寄った。集まった炊飯器は計15台。
ただ、余震などで店内が破損する可能性があり、店舗内での営業再開は難しい状況なのがわかった。
だが、スーパーなどが品不足で仙台市民には十分な食料品が行き渡っていない。
向井マネジャーらは現場の判断で、店外で牛丼弁当を無償で配ることを決断した。
14、15日で提供した牛丼は計2000食。
向井マネジャーを含めスタッフが交代で店の前で
「ただいま牛丼を配っています」と大声を張り上げた。
混乱を避けるため、メディアやツイッターなどでの告知はあえてしなかった。
あっという間に行列ができた。
向井マネジャーは「すき家に来たことがないおばあちゃんが牛丼を受け取って
『久しぶりに肉が食べられる』と喜んだり、『タダなの? ありがとう』と驚くお客さまもいた。
被災地で必要とされていると肌で感じた」と話す。
ゼンショーグループの中で最も動きが早かったのは「なか卯」(大阪市淀川区)の
平田哲章ゼネラルマネジャーだ。地震発生の11日、大阪から車3台で新潟経由で
「仙台駅東口店」(仙台市宮城野区)に向かった。翌12日には厨(ちゅう)房(ぼう)機器で
唯一電気が使えた空揚げ用フライヤーで空揚げ1000個をつくり、周辺の被災者に配った。
「とにかくできるだけのことをしたかった」と平田ゼネラルマネジャーは話す。
■震災前に復旧
ゼンショーは「すき家」のほか「なか卯」「ココス」「はま寿司」など
全国で計3978店(3月時点)を展開。
すき家だけで全国計1562店(同)あり、そのうち291店が地震発生直後に閉店したが、
3月末には264店が営業を再開。今月28日時点で閉店中なのは6店のみで、
ほぼ震災前の状態に復旧した。
店舗再開と同時に避難所を回って炊き出しを行い、3月12日から31日までの間に
牛丼やカレーなど計3万5810食を提供した。
藤田直樹広報室長は
「食を提供して成り立っているわれわれは、被災地で見たお客さまの姿を絶対に忘れてはならない」
と強調する。被災地への長期的な支援を継続する方針という。
-以上です-
ゼンショー http://www.zensho.co.jp/jp/index.html
株価 http://www.nikkei.com/markets/company/index.aspx?scode=7550
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【外食】牛丼魂、食を届ける執念 ゼンショー[11/04/30]
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